温故知新ラボ™
オナカだけをずっと真面目に考える「ONAKA研究カンパニー」腸内環境株式会社の研究所であり、ブランド名です。
続くことを考えた腸内環境を整えるための「食・運動・姿勢」商品の開発、販売を温故知新ラボにて行っています。複合炭水化物 低GI値 雑穀米「温故知新ラボ米」、レジスタントスターチサプリメント「レジスタ」、SOD産生サポート飲料「クロックティー」、足趾把持力(足指握力)強化サポート商品「ワシーガトウズ」、弓状線(腹横筋)強化フィットネスギア/下腹ぽっこり対策製品「ワシーガスタイル」、オナカサンダル(お通じサンダル)の「ワシーガアーチ」等。
腸内環境を整えるためには、食物繊維群(レジスタントスターチ、水溶性・不溶性食物繊維、オリゴ糖)、ファイトケミカル(ポリフェノールなど)を意識して摂取し、正しい姿勢で適度な運動を行うことが大切です。

トピックス

新年のご挨拶及び、腸内環境研究の確信を得た場所「昭和初期における日本有数の健康長寿村“山梨県上野原市棡原地区”」のご紹介(健脚=健康寿命)

2023年1月9日

 

 

新年のご挨拶

 

新年あけましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

今年も腸内環境の健康における重要性を啓蒙して参ります。

 

 

腸内環境株式会社

代表取締役 大森裕二

 

 

 

腸内環境研究の確信を得た場所「昭和初期における日本有数の健康長寿村“山梨県上野原市棡原地区”」

 

 

 

2016年4月20日、日本有数の健康長寿村“山梨県上野原市棡原地区”初訪問

2016年4月20日

 

2022年12月29日、日本有数の健康長寿村“山梨県上野原市棡原地区”訪問7年目

2022年12月29日

 

 

7年前から調査のため何度も訪れている山梨県上野原市棡原地区。

都会との食・運動含む生活習慣の違い、そして昔と今の生活習慣の違いを調べています。

2016年4月20日のトピックスブログにも記載しておりますが、今から37年以上前に岩手大学の鷹觜テル先生が人生をかけて数十年調査・研究をされた場所になります。

私の腸内環境研究の結論「1日食物繊維30g以上摂取することが腸内環境を正常化へ導き、世の中の生活習慣病が減少する」の確信を得た場所、と同時に微力ながら先生の意思を継ぎ、1人でも多くの人に健康な生活をお送りいただくために食改善の啓蒙に取り組む決意をした場所でもあります。

また食物繊維群(レジスタントスターチ、水溶性・不溶性食物繊維、オリゴ糖等、また穀物、海藻、キノコ、豆系等)の複合摂取の重要性、運動においての姿勢の重要性を改めて感じた場所にもなります。

あれから7年が経ちましたが、今では日本を始め、世界中の多くの科学者、大学、研究機関による論文(エビデンス)などの発表が相次ぎ、益々健康や疾患における腸内環境の重要性、そして腸内環境を正常化するための方法としての食物繊維群の摂取、姿勢の良い運動の効果などが数多く証明され続けております。

2016年4月から今回の訪問で約7年、毎年数回の調査を行い、2016年2月には現代では摂取の難しいトウモロコシ由来湿熱処理済みレジスタントスターチサプリメント「レジスタ」を既に販売を開始しておりましたが、その後の姿勢における重要性に着目した「ワシーガアーチ」「ワシーガトウズ」などの開発にも棡原地区の実体験・経験談(健脚・健康寿命)が結びつきました。

現在の棡原地区は、戦前から続いていた食と運動習慣が昭和30年頃から食の欧米化、バス開通などのモータリゼーションで途絶え、当時の日本有数であった健康長寿村でさえ当たり前のように生活習慣病の方も残念ながら増加傾向と聞いております。

ただ環境面は昔から変わらずベストな環境であることが言えます。

山岳地帯に位置し、東西4キロ、南北8キロ、80%は深い山林に覆われており、権現山々麓からなる鶴川が村の中央を縦断して流れ、深い渓谷を形成し、その河岸段丘上に集落と農耕地があります。

 

  • 標高396,7m(長野市標高362m、東京都内新橋駅標高4m、品川駅3m)のため空気も綺麗。
  • 水質もメタケイ酸が少ないなど良好。
  • 畑や家屋などほぼ傾斜地にほとんど存在するため、ほどよい負荷(メッツ)の掛かる運動習慣になる。

 

2016年4月20日トピックス「40年前 長寿日本一の村 山梨県棡原村」

 

医療も栄養学も今より発達していない時代であったにもかかわらず当時、健康長寿であった背景、生活環境と現代を比べる事で今を生きる人にとって大きな気づき、ヒントを与えてくれます。

 

 

 

ユーチューブ動画

 

 

昭和52年4月10日、長寿村・棡原に記念碑が立つ(昭和43年8月日本有数の長寿村として認められる)

 

昭和52年4月10日、長寿村・棡原に記念碑が立つ(昭和43年8月日本有数の長寿村として認められる)
昭和52年4月10日、長寿村・棡原に記念碑が立つ(昭和43年8月日本有数の長寿村として認められる)

 

碑背面文字のご紹介

「鶴川の河岸段丘に発達したわが棡原は山紫水明、耕して山頂に至る。

古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣素食、耕雲種月の日々を楽しんできた。

穀菜食を主とし、肉食を嗜まず女性は多産且つ母乳豊富、老人は皆天寿を完うしまさに身土不二の桃源郷である。

昭和43年夏、東北大近藤正二名誉教授と甲府市古守豊甫博士父子により、はじめて長寿村としての折紙をつけられた。

以来、内田厚生大臣の視察、在ブラジル森口教授ら多数の学者の調査研究により、世の脚光を浴びるに至った・・・・・・(中略)

 

昭和52年4月10日、長寿村・棡原に記念碑が立つ(昭和43年8月日本有数の長寿村として認められる)碑背面文字のご紹介

 

不老長寿は人類の悲願である。

特に高度の公害下に在る現在ほど国民大衆が健康と長寿への渇望を医学に期待している時はない。

この秋(とき)に当り同志相図り、長寿村の栄光と使命を長く後世に伝えるべく、汎く江湖の熱望を結集してこの地に記念碑を建てた。

願わくば日本医学における長寿学発祥の礎とならんことを」と記されております。

 

 

 

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